RETURNS

リターンズ

アドバへ戻り、それぞれのRe・スタート

アドバには、一度会社を離れて戻ってきた人が何人かいます。独立した人、転職した人、結婚退職をした人・・・。それぞれの決断にエールを送り、さらに彼らのこれからの人生も陰ながら見守る。そんな中で、もう一度アドバで働きたいと思ってくれる仲間が、またアドバに再就職できる「ジョブ・リターン制度」があります。さまざまな理由でアドバを去ったものの、また新たな挑戦の場としてアドバを選んでくれた人もいます。ここでは、そんな3人のリターンズをご紹介します。

Returns’s Voice

復帰したからこそ「練度」を高める仕事を

寿福 心一 Shinichi Jufuku

寿福 心一 Shinichi Jufuku
三河Division
マネージャー

はじめてアドバの門を叩いたのは、かれこれ17年以上前になるでしょうか。三河Divisionの立ち上げメンバーとして採用していただき、それから営業として自分なりに成長を感じて働いていました。拠点の責任者なども任され、退職する直近はマネージャーとして働いていました。そんなアドバをなぜ離れたか。それは、独立して自分で商売をやってみたかったからです。ちょうど2011年頃、縁あって独立しました。しかし・・・やはり経営って甘くないんですね。自分が思い描いていたような成果を得ることが、なかなかできませんでした。2年半ほどやりくりしたものの、家族を安心させてやりたい、という気持ちもあって事業をたたむ決意をしました。痛手は追いましたが、その分多くの学びも得ました。これまでアドバの営業として向き合ってきたお客様(経営者)の想いや覚悟、そして利益を生んで組織を守ることの難しさを実感したこと。また、アドバの持つ商品力の高さや仲間がいるということの有り難さも思い知りました。
そんな風に感じていた頃、アドバの悟さん(中島常務)から食事に誘っていただき、復職の声を掛けていただきました。とても嬉しかったのですが、正直、「大々的に送り出してもらったのに、かっこわるいな・・・」という気持ちもありました。妻にすぐ相談をすると、「いいじゃない!そんなにありがたいことないわ!!」と大喜び。僕がアドバでいきいきと働いていたことを一番近くで見ていた彼女の言葉ですから、妙に説得力もありました。妻の喜ぶ顔にも後押しされ、復職を願い出ることにしました。
そして復帰初日。まるで昨日もアドバに居たかのように、普通に仕事に戻りました。僕には「広告」という仕事が染み付いていたようです。仲間も、誰も特別視することなく、いやむしろ、もうちょっと構ってくれてもいいんじゃない?と言いたくなるくらい、変わらない対応でした。これがみんなの“愛情”なんでしょうが・・・。形がないものを扱う「広告」。だからこそ自分の価値が付けられる商品。そして週刊誌は一瞬一瞬が勝負で、自分自身が研ぎすまされていく感覚があります。そんな魅力的な仕事で自分自身をもっと高めていきたい。もっと練度をあげて仕事をしたいと思っています。

仕事を楽しむ、人生を楽しむ

伊吹 麻衣 Mai Ibuki

伊吹 麻衣 Mai Ibuki
名古屋Division 営業

アドバに転職したのは24歳のとき、社会人経験の浅い私にとって、アドバは第二の学校のようなものでした。叱られて育ったし、自分の不甲斐なさに悔しくて泣いたことは数知れず。それでも、思いっきり体当たりできる上司や先輩がいたし、夢中になるに値する仕事の意義も感じていました。入社して数年経った頃、名古屋を飛び出して、大きなマーケットで自分を試したいと思い、関東への異動を希望しました。しかし異動の希望を叶えてもらったにも関わらず、それからしばらくして結婚が決まり、名古屋へ戻らなければならなくなりました。自分で手を挙げて関東に行かせてもらった手前、個人的な事情でまた名古屋に戻りたいとはどうしても言えませんでした。ほとんど誰にも相談せずに、退職を決意しました。その決意を聞いた敏さん(社長)が、「なんで決める前に言ってくれなかったんだ」と声をかけて下さいました。相談していたらまた、手を差し伸べてくれていたかもしれない。正直心は揺れましたが、自分で決めた道。これ以上甘えることはできないと、後ろ髪ひかれる思いで退職しました。
そんな経緯で、名古屋の会社に転職したのですが、転職先の経営が傾き始めたこともあって辞めざるを得ない状況になりました。「次どうしようかな・・・」そんな相談をアドバの同期に話していたとき、敏さんから電話がありました。「どうだ、社会見学は終わったか? かわいい子には旅をさせよ、だ」と。一瞬にして、視界が広がった感じがしました。正直なところ、退職するとき、自分がやりきった感も持っていなかったし未練もありました。アドバで打ち込んできた何年かが頭によぎって、「やりたいです!」とその場でお返事をしました。もちろん不安もありましたが「実績のないやつを戻そうとは思わない」と敏さんが言ってくださって、心強さも覚えました。過去に辞めた人間のがんばりまで蓄積しておいてくれる会社があるんだ・・・。驚きと喜びとで胸が熱くなったことは言うまでもありません。
「働くことは、生きること」元々感銘を受けていた敏さんのこの言葉。アドバに復職して、より身に沁みて感じるようになりました。仕事を通して学ぶ、悔しくて泣く、嬉しくて飛び跳ねる。私はこれからも、そんな風に仕事をして生きていきたい。アドバに戻ってきてからさらに、より強くそう感じるようになりました。一度外に出たことで、それに気付くことができたのかもしれません。この経験をこれからも仕事に活かしていきたいと思います。

もっと企業成長に貢献するアプローチを求めて

栗本 大吾 Daigo Kurimoto

栗本 大吾 Daigo Kurimoto
メディア企画局 Webチーム
上級ウェブ解析士

「このエリアで、このお客様なら、たとえばWebで専用ページを作ったほうが・・・」。2004年にアドバ入社して7年ほどたった頃、私はひとつのフラストレーションを抱えていました。クライアントとは「採用」のパートナーだけど、それ以上にお客様の事業の要となる「集客」や「売上」に貢献する提案がどうしてもやってみたい・・・。もっとダイレクトに売上に貢献するセールスプロモーション(集客)広告の提案営業を魅力に感じて、2011年にアドバを去る決意をしました。そして、小数精鋭の総合広告代理店に転職。パンフレットやTV番組制作、Web制作やイベント企画などあらゆるセールスプロモーションを手がけました。アドバのように1から10まで教えてもらえる環境ではなく、一人ひとりがそのセクションでのプロフェッショナル意識を持った集団ですから、業界の作法や仕事の進め方などはできるだけ自己完結できるよう、自ら新しい領域に対して模索し、切り開いていきました。
求人広告という専門分野から、もっと幅広い広告領域をチャレンジしている最中、独立志向が強い私は、将来の展望を見据えた際に「どの広告フィールド(専門性)で会社を起こすのだろう」と考え始めました。そんな先のことを考えはじめていた折、敏さん(社長)から1本の電話があったのです。「どうだ、元気にやっとるか?」辞めてからも3ヶ月に1度ほどは敏さんと連絡をとっており、今の状況や自分のやりたい事、また将来独立をしたい旨を洗いざらい話したところ「今一度アドバでやってみるか」と声を掛けてくださったのです。正直なところ求人広告でリスタートという選択もありましたが、私がやりたいことである「WEB事業部をやらせて下さい!」と思い切って伝えました。つたない事業計画書を携えて幾度とプレゼンをして・・・最終的には「まあ、よう分からんがやってみろ」と一言。一度去った社員のことを気にかけてくださっているだけでも有り難いのに、私一人のステージまで用意してくれる、その度量の広さに頭が下がるばかりでした。
WEBチームのミッションは、現在求人媒体や集客媒体でお付き合いのあるアドバのお客様へ広告効果を増強させるためにWEB(例えばホームページや、運営・管理代行)というツールをどう活用するか、どうアクティブに動かすかにあります。1人で立ち上げた事業でしたが、今ではメンバーも増え仕事の幅もどんどん広がってきました。やりたい放題やらせてもらっているこの環境。戻ってくることを歓迎してくれた仲間、応援してくれる上司。そんな環境だからこそ、アドバに骨を埋める覚悟です。社内外問わず結果を出して、WEBチームをWEB事業部に変えることが今の近い目標です(笑)。